チーム医療私見

これは、鹿児島大学大学院修士課程(現博士前期課程)でチーム医療に関して私見を論じる機会があったときのレポートです。
画像は、プレゼンテーションで用いたパワーポイントのものを必要に応じて一部だけ掲載してあります。


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チーム医療特論 私見レポート  M1 作業療法学 堀木周作



このレポートの概要

 チーム医療について考えるとき、T.医療現場を中心とした「ネットワーク・システムとしてのチーム医療」。U.患者と家族を中心に置いた「援助方法としてのチーム医療」。V.チームを構成する「構成員にとっての医療環境と医療環境のためのチーム」など、いくつかの側面から捉えることができ、これらについては一般論を中心に私見としてまとめた。後半(W.陰性因子の効用)では最近の関心から複雑適応系でのカオスとアトラクタの側面からチーム医療にふれ、同じく私見を述べた。また、3回のゼミを通してX.に更なる私見を加えた。


目次 

T.医療現場を中心としたネットワーク・システムとしてのチーム医療
 1.チーム医療の範囲と形態
   a.医療領域
   b.保健・福祉領域 
   c.社会(コミュニティー)領域
 2.互いが有機的につながりあい、情報を提供し合い連携するサポート体制
   a.連携はサポート体制を含むべき
   b.意識の高まりと教育体制、協働の相乗効果
   c.分野や領域の違いによるリテラシー
   d.セーフティーマネージメント機能

U.患者と家族を中心に置いたチーム医療から、患者と家族参加型のチーム医療へ
 1.プライバシーと個人情報
   a.基本的権利と守秘義務
   b.阻害因子と記録手段
 2.患者・家族参加型のチーム医療

V.チームの構成員にとっての医療環境と医療環境のためのチーム
 1.医療環境はチームによって創られていく
   a.職員の自己効力感
   b.組織かチームか
   c.知識格差是正のため
 2.何事も保てる範囲で

W.陰性因子の効用
 1.問題事を起こせと言っている訳ではない
   a.人はミスを犯すもの
   b.人は不安定から逃れようとして反応を誘発する
   c.陰性因子も考え方次第

X.第3回の講義(看護職のプレゼン)を受けて
 1.患者中心と各領域の専門性
   a.活動領域と専門性
   b.協働の真の意味
 2.巨視的に捉えること
   a.チーム医療から社会活動へ
   b.協働の真の意味





T.医療現場を中心としたネットワーク・システムとしてのチーム医療

 1.チーム医療の範囲と形態

   a.医療領域

 チーム医療の原型は、病院内(施設内)多職種(いわゆる医療法
にいう「医療の担い手」)によって構成されるチームである。ここでのチームは、現行医療関連法、特に医師法によって、「医療及び保健指導を掌ることによつて…」と医師の権限と責任の範囲を遠回しに規定していることもあり、医師を中心に構成された組織体であり、いわゆる縦型の組織形態をとる。
 このように、医療(診療)行為は医師の指示や指導の下に、組織的に行われることを前提にしているため、病院内(施設内)での指示とその責任体制については縦型の組織形態を基本としている。
 一方で、時代の要請に応えるべく、医療の担い手(以下医療従事者)の業務は細分化と専門化され、その業務遂行には,十分満足のいく専門性の発揮と、患者の個別化によるニーズ(個別の病態への配慮や文化的背景の尊重)への対応が迫られている。ここでのチームによる業務遂行については円環型の組織形態を理想とし、有機的な情報交換と共有、機能体としてのネットワーク構築が期待されている。医療現場での医療チームは、このように二つの組織形態を常に併せ持っている。
 ところで、上述の組織形態の中で、医師は(特別職や総合職である場合が多いという社会的背景も手伝い)、その職業的特殊性から、全体のとりまとめ役や調停者となることが暗黙のうちに医療従事者や国民の認識の中に内在している。しかし、各医療従事者の業務が専門分化したり特化されつつある現在では、一個人がその組織やチーム全体の特性を十分に把握するよう求められたり、そこでの全ての運営上の責務を問われるようなことは好ましいものではない。
 このことから、医師や管理職など、構成員の中の特殊な地位にある者に権限が偏重する可能性があれば、チーム医療を実践する上で中心となる者は医師や管理職である必要はなく、実践と運営のセンスを持った者に任せるか、チームを構成する人員の意見を尊重し、或いは問題解決のための最善の方法を選択し決定するための決断ができる能力を持った者であればよい。
 念のために、加えておくがチームは一種の生き物であり、常に動的かつ力動的なものである。このため、この生き物をどのように育て、導いていくのかは、その生き物自体の能力や機能であり、その調整・調停者の能力に追うところが大きい。
1:医療法:第1章第1条の2
2:医師法:第1章第1条


   b.保健・福祉領域 
 医療援助に関連する他領域(民生委員等も含む保健福祉関連職など)の人員を含めたいわゆる関連職種集団による、組織的援助活動を範囲としたチーム医療は、リエゾンやコミュニティーアプローチと基盤を一にし、重なる部分の多いものである。
 ここで、病院内(施設内)という垣根を越えてチーム医療の範囲を語るのには、チームの存在が患者と家族のためのものであるからである。患者と家族の生活基盤や文化的価値体系は、あくまでも家(家庭)と彼等の住むコミュニティーの中にある。家とコミュニティーが生活場面であるときに、そこに関わる人的資源を巻き込みながら、よりスムーズな社会参加と生活を目指した援助を行うためには、私たち医療従事者と地域で活動する人々との連携が不可欠である。
 こうした援助システムを構築することの意義は前述の通りであると同時に、福祉関連政策の一部としても機能している。しかし、そこには多くの個人的あるいは施策的課題が残されていることも事実である。
 さて、ここでの関連職種(民生委員は職業ではないが)は、それぞれの立場から意見と情報を交換しつつ、いわゆるチームとしてネットワークを構成することになる。ここでの特徴は、医療領域、福祉領域、保健領域、社会(コミュニティー)領域という、個人を超えた領域からの意見が持ち寄られ、調整され、或いは調整を求められながら機能する。
 多くの場合、病院内(施設内)チーム医療に加え、領域毎のバランスを保ち、或いは配分するための連携と調整が必要になることが多い。これは、リエゾンやコンサルテーションと重なる部分でもあり、コミュニティーアプローチを実践するためには、今後の政策や、意識と人材の育成が課題となるところでもある。
   c.社会(コミュニティー)領域
 会社人事担当者や地域の代表者(自治会長)、或いは教師などの関係者を含めた、組織的援助はチーム医療の延長線上にある。上述のリエゾン・コンサルテーションはもとより、医療チームの課題として、これらの人々に対する協力と援助が必要になる事例が多い。
 それは、患者と家族の援助に直接的にも間接的にも関わることの多い人であるからである。身近な生活場面で、キーマンや相談相手として、あるいは助言者としての機能が求められる。
 また、この範囲には商業ベースの事業者や、有償・無償のボランティアを含めて考えることも出来る。ここでは、広義社会資源としての都市・住環境とか、行事や催し物、インフラ、人的・物理的環境なども考慮に入れながらの援助となる。

 このように、病院(施設)の壁を越えたコミュニティーや学校、職場や家庭、地域社会で患者の生活を支えるための総合ネットワークシステムの中で、チーム医療の方向性を考えておくことが大切である。




 2.互いが有機的につながりあい、情報を提供し合い連携するサポート体制

   a.連携はサポート体制を含むべき
 患者の健康支援には、多種多様な医療専門職からなるチーム医療が不可欠である。したがって、患者の医療情報を共有しなければチーム医療は機能しないことになる。また、前述のように、チーム医療に関わるサポート体制は、医療職による直接的な訪問援助やコンサルテーションだけではなく、所属する各社会生活場面での各種活動や社会的活動なども範囲に含まれる概念でもある。
 全体や部分が一つの機能体として活動するためには、適切な情報伝達と調整による連携が不可欠である。チームによる援助体制は、組織や集団として動的かつ力動的なものとなり、各種の会議や連絡手段を持つことや、そこでの発言や表現がシステムとしての全体に影響を与え、善し悪しは別としても動的なものとして活動し続けることになる。こうした動きがある中で、構成員間の情報交換と連携の場を作り出し、チームの目的に向かって互いにサポートし合うシステムが組み込まれてゆくべきである。また、連携とサポート体制の充実はチームの組織基盤となる医療環境にも大きな影響を与える。

   b.意識の高まりと教育体制、協働の相乗効果
 チーム医療がスムーズに機能するためには、具体的工夫をする必要がある。上述のようにチームを構成する個人の意識の高まりと、そのためのシステムは必要であるが、加えてそれらを効果的に行うための教育の機会と、各個人が他者(他職種)に対して影響を与えることの出来る存在としてチームの中で協働していることへの意識と知識を持つことが重要となってくる。基本は、職種間の相互理解であるが、そこは緊張関係と相補関係が渦巻く世界であり、常に良い方向ばかりに展開するものとは限らない。このため、チーム機能の中にチェックと修正、そのための提言が出来る環境が必要不可欠である。
チームでの医療は、それを構成し関わりのある者が、各部分の間に緊密な統一を持ち、部分と全体とが必然的関係を有している状態で
、そこでの情報伝達による交流と表現や主張を行う場でもある。我々、日本人にとっては特に表現と主張の仕方が下手で、ともすると自己中心的に感情的表現をしたりすることもある。チームにおける調停者や教育担当者は、実際の場面でこうした側面からの調停や介入をしたり、教育の機会を与えることも必要となる。
3:広辞苑より「有機的」の部分引用

   c.分野や領域の違いによるリテラシー
 チームを構成する個人の知識や能力の格差までは言わないまでも、専門分野の違いによる情報リテラシーの存在は歪めない。しかし、患者と家族のために最良の援助方法を見いだしたいという願いや意識は、自ずと個人的感情に走ることを抑え、正確な情報やデータに基づいた、根拠をともなった選択肢を見いだせるように働きかけるであろう。
 チームを構成する個人ばかりでなく下位組織の中でも、こうした格差は存在する。前述した縦型組織の中での教育体制と、個人的には言いにくいことを発言できる円環型の環境下での支援体制が必要である。
 チームの中では、有機的な繋がりの中で協働していることによる相乗効果もまた十分に期待できるが、そのためにはチームそのもののが成長していることが必要である。成長の機会は待っていても訪れては来ないため、成長の機会そのものを意図して組み込むことも必要であろう。

   d.セーフティーマネージメント機能
 チームの実務的機能として、リスクマネージメントシステムとしてのチーム医療(セーフティーマネージメント)も、忘れてはならない。
 医療過誤や事故、褥創や感染症の予防と対策は保険診療上ばかりでなく、チームに求められる機能でもある。これが、結果的には患者と家族の利益、チームそのものの利益に繋がっていくからである。
 最近では、これらに対して対策委員会を設置することで診療報酬上の優遇措置(実施してないときはペナルティともとれるが)が図られていることもあり、多くの医療機関が導入しているものと考えられる。こうした動きは、診療報酬を揚げることが目的になり形骸化したチーム医療となってしまっては元も子もないのだが、しかし、それでもこうした委員会を実施しないよりは良い結果を生み出す可能性があるだけましな選択でもある。手段はともかく、結果的にでも有機的につながりあい情報を提供し合う方向性が育っていく可能性は評価できる。
 チーム医療の現場では、このような対策委員会により診療上のリスクや安全性についてマネージメントすることは大前提となっている。しかし、こうした対策委員会での内容は医療技術者側の問題点についての解決と予防が討議されているのが現状である。真のチーム医療を目指すのであれば、患者と家族の持つリスクとセーフティーについてのマネージメントが必要であることも忘れてはならない。また、これは心や気持ちに対しても同様の配慮が必要である。


U.患者と家族を中心に置いたチーム医療から、患者と家族参加型のチーム医療へ

 1.プライバシーと個人情報

   a.基本的権利と守秘義務

 チーム医療とは、患者の人権尊重を基本原則として、各専門職が自らの法的規定に基づいた役割業務を遂行することである。しかし、「プライバシー」あるいは「権利」の認識の誤り、臨床における伝統的な医師・患者関係の存在等から、日常の医療のいたる場面で患者の個人医療情報が不当に扱われることが多々ある。医療情報の本質論と医療従事者の認識の乖離によって、医療情報の流れが中断し、適切な医療が提供できなかったり、医療過誤の誘因にもなっている。
さらに多くの場合、チーム医療では、医師及び看護師をはじめとするコメディカル職員が患者の医療情報の質、量、その取り扱いを決定する立場にあるので、情報伝達の過程では、選択、決定に責任が伴う。それは、@患者の個人情報はどの範囲まで、誰と誰が共有すべきか。A秘密は誰と誰に守秘するのか。B情報の伝達方法とプライバシーの保護の方法は適切か。Cこれらの個人情報と守秘義務は法的根拠と人道的枠を離れてないか(たとえば、「ここだけの話ですが、私は、明日自殺します」と言われたことを守秘義務の下に隠し通しておく訳にはいかない)。

   b.阻害因子と記録手段
 また、患者と家族を中心に据えながら協働的なチームとしての機能を最大限に生かすために、@患者の抱える問題や障壁などの阻害要因の改善に向けての専門職からのアセスメントとアプローチのための選択肢を準備すること。A 医療従事者の阻害要因と改善に向けての自己分析や教育としてのトレーニングをすること。B家族の阻害要因と改善に向けての社会学的アセスメントとアプローチを含む援助をすること。Cチーム全体の阻害要因と改善に向けての批判的立場からの分析的アプローチをすること。
 特に、チーム医療に関する教育を受けた者は、チーム医療に関わる人の尊厳を尊重できるチームを常に目指すべきであり、インフォームド・コンセントと重なる部分でもある。
 最近話題になっている電子カルテなどの、1患者1カルテ方式の採用と、 POS(問題志向型システム),POMR(問題志向型診療記録)の導入はこれらを補完するための手段として有効に使われるべきである。


 2.患者・家族参加型のチーム医療

 前述(U1.プライバシーと個人情報)は、医療従事者向けの表現である。患者と家族を中心に据えたチーム医療の考え方から一歩前進させ、患者と家族の主体的チームへの参加を尊重した形態として以下のように考えることが出来る。
 チーム医療における患者・医療従事者の関わりとしては、@チーム医療への患者や家族の参加。Aさまざまなレベル(ベッドサイド〜社会生活場面)での患者・家族参加型チーム医療の実践。Bチームの中での医療従事者,患者,家族の役割と能力的限界やサービスの限界を確認することなど。

 患者と家族にとっては、いかに彼等の主体性と個人の尊厳が大切にされるか。健康的生活を育んでいけるか、そのため最良の援助が受けられるかかが、チーム医療に対する期待となる。
 この意味からも、患者と家族は中心に置かれているが、なによりも患者と家族にとっては安心して受け入れや参加の出来るチームであること、絶対的信頼感を寄せられるチームであることが大切である。


V.チームの構成員にとっての医療環境と医療環境のためのチーム

 1.医療環境はチームによって創られていく

   a.職員の自己効力感

 チーム医療の実践により、誤りのない診断と治療、適切な診療とその補助行為、処遇のための実践が、患者と家族にとって満足のいくものとなる。これは、同時に良い仕事が出来ていることの満足感や充実感となり、我々医療従事者のさらなる学習と挑戦の意欲をかき立てるであろう。
 チーム医療とはそれぞれの職種がそれぞれの領分でそれぞれの責任を果たすことで成り立つものであり,お互いの独自性(専門性)を認めた“目指すチーム医療”の実践が、医療環境をさらによいものとしていく。これは、前述の、医療現場における事故・過誤を限りなくゼロに近づけるリスクマネジメントシステムとしての基本ともなり、医療の質を高めていくことに直接的に繋がっていくであろう。 このような、変化や流れをチームが体験していくことが、より高度な診断と治療、援助が可能になってくる。

   b.組織かチームか
 組織医療とチーム医療の話題が第2回目の講義で出されたが、”組織”とはチームを構成する各要素が結合して有機的な働きを有する統一体であり、そこでのシステムと捉えることができる。一方の”チーム”は、共同で仕事をする一団をさす。これより、”組織医療”は東洋的(概念的かつ形而下学的)であり、”チーム医療は”西洋的(科学的かつ哲学的)であるともいえる。現在、この二つの側面からの見方と実践のあり方は混在している。折衷的で日本らしいと言えばそれまでであるが、これこそが現代の日本人の文化と価値判断にマッチしていると考えると、チーム医療は組織医療に内包されながらチームとして機能すべきものであると言えよう。
 これは、ご都合主義の解釈ではなく、チーム医療を求めている患者と家族の価値基準の多様性に対応するための考え方の一つと考える。知識と技術のリテラシーが大きく横たわるチームの中では、科学や哲学などの諸学問一辺倒の考え方では成り立つはずもないし、有機的な繋がりとか、スピリッチュアリティーとか、感情や感覚的なものも念頭に置きながらチーム医療を捉えたいと言うことである。
 我々、医療従事者は様々なレベルと角度からの情報提供と優先すべき援助の適切な選択が出来るよう、いつでも柔軟なものの見方が出来て良いのではないだろうか。患者と家族に優しい病院(施設)であり、チームであるためにも磨きをかけるべき感性である。

   c.知識格差是正のため
 各専門職の資格制度と卒前、卒後教育の体制は整っているであろう。これにより、卒業時の一定の能力水準の確保と卒後のトレーニングの場が確保されている。しかし、特に卒後教育にあっては、全ての医療従事者が漏れや偏りなく受講することは非現実的である。そのため、病院内(施設内)での、学習会や勉強会、伝達講習や報告書の提示、それらへの参加と閲覧の機会が整備されるべきである。直接医療に関係のないこのようなシステムも、チームによる医療環境へ取り組みとして取り上げておきたい。


 2.何事も保てる範囲で

 これまで述べてきたことから、医療環境を考えるとき、医療従事者がお互い対等に連携することで患者中心の医療を実現しようとし、各職種が主体性を発揮し、チームの中でフィードバック機構を持ち、統合カルテ、回診、申し送り、会議、卒後教育等への参加をとおして各専門職種のスペシャリティーを伸ばしていきたい。
 また、前述(V1b.組織かチームか)で述べたように、東洋的あるいはホーリスティック・ヘルス(肉体と精神の両面と自然を合わせ健康管理や治療を考える)な感覚と能力を育んでいくことも大切である。
 しかし、こうして努力することが職種構成志向を助長したり、職種による格差など、本来目指すべき真のチーム医療から乖離したところで動き出すようなことがあってはならない。
 職種構成ばかりに目が向き、構成職種とライセンスの質ばかりに目を向けるようになったとき、チームは医療従事者の自己満足を満たすためのものとなり、職種と社会的地位の所有が良いチームを作り上げていくかのような錯覚に陥ってしまうであろう。
 全ては、保てる範囲内で患者と家族のための最良の援助を行うためであり、これを実践するための素地として、チームがあり医療環境は整備されるのである。そこでは、数だけの職種の多さや構成員の社会的地位はさほど大切ではない。


W.陰性因子の効用

 1.問題事を起こせと言っている訳ではない

   a.人はミスを犯すもの


 上述までのようなまとめ方をすると、良いことばかりを目指し、よろしからぬことからは目を背けたり、蓋をしてしまおうと考える人たちが存在してくる。
 しかし、人間はミスを犯す存在であるし、チーム医療の現場でもミスや問題は日常茶飯事に起きるものであるし、その存在すら否定するかのような文献が殆どである

4:実際にはこのような文献を見かけるわけではない。未熟な読み手であれば、勝手にいいとこ取りをし、それが全てであるかのように錯覚してしまうことを揶揄したものである。

   b.人は不安定から逃れようとして反応を誘発する
 チーム医療を実践しようとすると、個人的体験によるものにしろ、医療事故対策にしろ、チームの話し合いの場での個人的感情に基づく意見にしろ、不快感や不安定さ、失敗体験や喪失体験などを伴うことが多い。人は、こうした不安定な状況を避けようとして反応し行動をとる。
 複雑適応系の考え方を借りると、この状況はいわゆるカオスである。とすれば、不安定で混沌とした状況の中にこそアトラクタが存在し、安定に向けての動きが始まる。上述の不安定な状況を避けるための反応(安定化と適応)が起こる。反応は、以前と同じ状態へ引き戻すかもしれないし、新たな次元へ導いてくれるかもしれない。
 そこに、新たな次元へ導いてくれるための何かがあれば(或いは何かに反応して新たな機能が現れてくれば)、システムとしてのチームは、新たな次元へと進んでいくことになる。

   c.陰性因子も考え方次第
 たとえば、チームの会議の席で、個人的な感情ばかりを表現する構成員が居たとして、私たちは何を学ぶだろうか。患者や家族に対してあのように振る舞うことがないようにしようとか、自分はもう少し他の構成員に共感してもらえるような言い方にしようとか、あんな自分勝手な人は嫌いだという自分の投影に気づいたり、さまざまな感情や思考が巡るはずである。
 折角このような機会に恵まれたのだから、「個人的感情にまかせて発言するのはやめてください」と、その場を事なかれ主義一辺倒にやり過ごすのはもったいない話である。発言者が感情的に意見を言わざるを得ない理由が、患者や家族、チームの機能にあるかもしれないのである。
 そのことに気づいたり、そこから学ぶものを見つけ出したとき、チームとチームの構成員は確実に変化への道をたどっていくであろう。
 
 チーム医療について学び、チームを構成しようとしている私たちであればこそ、このように鳥瞰的視点から、チームに関係する人々や、そこで起きている事態に対して優しさをもって受け止めたいものである。
 良い結果を得た事例がチームの質を高めるのと同様に、ミスや問題も私たちを成長させてくれる要素に十分成りうるのである。

 良い結果とミスや問題を並列し、チームをより良いものにしようと考えるときに、良いものと悪いものは対極にあるものと受けとめ易い。
 しかし、複雑適応系という視点からは、私たちを成長させてくれるものとして捉え、同極のものと見なすことができることと、そういう視点を持つことの重要性を述べたつもりである。

 同極と見なすための要素をすべて列挙することは、その複雑さ故に不可能であるが、その時々の状況について記録を残し、対処方法を考え、選択された方針を皆がわかる形で情報化(コード化)し、これを蓄積し整理していくことが、チームの機能を検討したり評価する材料になることは明白であり、より高度な問題や状況に対応できるようになるのである。
 実際、各種の対策委員会ではそのようにしていることを思い出し、こうした対策委員会もチーム医療の一端であることについて、再認識したいものである。





X.3回のゼミ(看護職のプレゼン)を通して

 1.患者中心と各領域の専門性

   a.活動領域と専門性


 私たちは、「医療技術の専門職」である。医療技術の専門職でありながら、その範囲に生活支援を含むと考えている。これは間違った考え方ではないが、医療領域からだけの視点しか持たない場合には間違っていると言わざるを得ない。
 そこで、患者と家族の側に視座をおくと異なった見方が出来てくる。つまり、社会生活者としての患者と家族を中心に視座をおくと、生活の中に健康や福祉の領域が大きく関わっていて、その中の部分的なものが医療領域にすぎないことがわかってくる。
 医療技術を、病気や傷をなおすために役立てる技を行使することとすれば、医療技術はあくまでも医療領域での話になり、私たち医療技術者はもっぱら医療領域を担当することということになる。
 このように、患者と家族の生活場面を中心に関係図を描いてみると、患者と家族が「生活の主体者」であり、患者と家族がその中心にいることがよく見えてくる。そして、医療従事者を「医療領域の専門職」と見なすことも正当性を持つように思われる。
 これまでの考え方や、プレゼンテーションの中で「患者を中心とした」という表現があったが、どうやらこれらは、医療領域の中で患者を中心において考えているようである。この考え方こそ、これまでのパターナリズム(父親的温情主義)の残余物そのものではないだろうかという気がしてくる。視座そのものを、患者と家族の視点においてこそ全体が見えてもくるだろう。

   b.領域を超えて専門性を発揮する

 多くの場合、チーム医療の現場では領域を超えて支援をしたり、他職種の共有や協働部分があるものである。特に、デイケアや訪問看護のような場面では、職種によって業務を区分する場合もあるが、生活相談や支援に対しては、担当者との関係やその時々のきっかけで対応することも多く、このような協働部分については技術的専門性よりも医療人としての資質の方が求められるところである。
 デイケアや生活支援、カウンセリングなどの場では、イニシャルインテークを行う者は経験豊富な者がその任に当たることが一般的であるし、職種を超えて生活相談につきあうことも日常茶飯事である。
 患者と家族の側からこのことを考えてみると、患者と家族の側に立って案内や説明をしてくれる専門職の存在は大きい。職種に限定されない部分での専門性というものもあるということだが、これについては、専門性というよりも専任者という言葉でも当てた方が適切かもしれない。
 ここでの専任者は、治療やケア、可能なサービスとその限界などについて熟知しておく必要がある。また、患者と家族のニーズと準備できるサービスとの照らし合わせから、彼等にとって最良であると考えられるサービスを提案できなければならないだろう。そしてまた、患者と家族がその選択にあたって、不安を持つことなく、「良いサービスを受けることが出来た」と満足の出来るものを提供できることが必要であろう。
 医療界に限らなくとも、必ずしも情報提供側が良い情報を授けてくれるとは限らない。最近、病院機能評価などにより客観的に病院の機能を評価しようとしている。また、受療者間で病院や施設の機能についてうわさ話をし合うことも多いだろう。それにしても、まだまだ患者中心の世界ではないのである。だからこそ、各領域の水先案内人としては、患者と家族の立場に立ちながら彼等の生活場面と各領域を上手く繋げていける役割を担いたい。





 2.巨視的に捉えること

   a.チーム医療から社会活動へ


 パターナリズム下での教育と影響を受けている私達は、せいぜい自分をへりくだらせて「やってあげたい」とか「させて頂きたい」といった感覚によって、さまざまな現象を、一つの根本的信念によって成り立っているかのように錯覚することが多い。「患者様を大切にしている私」が居て、これが患者を尊重する患者中心の考え方だという具合に錯覚しているのである。

 チームを医療領域のみに限定すれば、そこは医療技術を切磋琢磨し、最良の援助をいくつかの選択肢を持って利用者に提示できることと、それを利用者自身が選択できるように根拠を提示できることが重要になってくるし、これは当然の職務でもある。

 先に、患者と家族の「生活の場」を視座の中心に置いたとき、初めて病院(施設)の枠を超えたチーム医療を語ることを述べた。このとき初めて、患者中心という本当の意味と、真のチーム医療に近づいていくだろうことも理解できてくる。

 健康的(保健)生活、通院生活、入院生活、完快後の生活、障害者としての生活など、何れの生活場面も主体性を持った生活者として捉えるべきであるし、WHOのいう「健康」の概念を医療領域からでなく、生活者の場から捉え、保っていけるよう援助していくことが我々にも求められている。
 これはまた、病院(施設)の中、地域やコミュニティーの中で職業人として、時にはボランティアとして活動することが求められるゆえんでもある。

   b.協働の真の意味

 患者中心主義は、どの様な場面でも患者や家族を舞台の中心に祭りあげることではない。時には医療従事者が、時には福祉領域の職種が、時には会社の人事担当者が舞台の中心に躍り出て、自分の特性を存分に表現し、舞台の周りに集ったチームを構成する者たちが、いろいろと注文を付けたり、感じ入ったことを伝えたり、共感し合ったり、文句を言ったりしても良いのではないだろうか。
 こうしたことが、チーム医療を有機的な繋がりを持った機能体として、患者と家族を医療や福祉、保健活動や社会生活活動などとの間で橋渡しをし、健康と福祉に満ちた安心できる生活が彼等の下に営めることに繋がっていくであろう。
 私たち医療技術者がこれまで述べてきた領域や分野で、何を協力していけるか、各自の立場や可能性について自問自答しながら、よりよい協働作業としてのチーム医療を目指したい。


以上

 

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