治療契約と治療構造

 私が学生だった1980年代、精神科作業療法は精神力動論によるアプローチが隆盛を極めていました。その頃は「治療契約」「治療構造」という言葉をこの精神療法領域で用いられる狭い意味での言葉として理解していました。
 作業療法士として仕事をさせてもらう中で、特段の契約を結んだ関係でなくても私と患者さんとの間にある一定の関係性があることを感じだしたのは臨床3年目くらいの時だったと思います。
 ところで、「治療契約」は治療を開始するにあたり作業療法士と患者さんとの間で治療目標や用いる作業活動(方法)、治療の時間や目標とする期間、セッション中のルールなどについて確認を取り交わすことを指します。そして、「治療契約」で規定された物理的条件や作業療法士と患者さんとの関係性の様式を「治療構造」と呼んでいます。
こうしたことから、患者さんにとって「治療構造」は、作業療法士を含む作業活動環境と患者さんとの関係性を規定する様々な要因や条件、状況などが構造化されたものということができます。

 「治療構造」は、このような関係性が成立するための基礎的条件を自ずと持っており、患者さんのおかれた環境を治療的なものとして支えることとなります。患者さんは「治療構造」そのものに対して精神機能や能力を映し出すこととなりますから、そこでの機能や能力の使われ方や特徴を分析したり査定できる職業上の専門的能力(技能)が求められてきます。作業療法では一般的・限定的作業分析がこれにあたります。

 作業療法の開始に当たっては、作業療法士が治療に関連する条件を治療の目的に沿って構造化し、患者さんと確認し合うことで「治療契約」が結ばれ提供されることになりますが、こうした手続きは今日ではIC(インフォームドコンセント)と呼ばれることが一般的になっています。すなわち、こちらが提供できる条件をいくつか提示しその中から患者さんに選んでもらったり合意していただくということになり、患者さんが選択についての決定権を持っているということになります。

 このようなことから、「治療契約」と「治療構造」は非常に強い関係があると考えることができます。私がことさら「治療契約(作業療法の目標や目的)」と「障害構造」や「治療構造」の不一致について指摘をする理由はこんなところにあります。

 多くの学生が実習当初に『私が作業療法で患者さんに援助しなければ・・・』的な発想を持っていますが、これは治療する側のエゴイズムと紙一重のところがあります。学生の見たてによる治療目標が優先してしまい、患者さんのニーズや欲求が作業療法の目的や彼らの生活と関連づけて反映されていなかったりするのです。

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